『夢をかたちに』~すばらしき先輩

明日まで!告知遅くてごめんなさい!!

池袋の東京芸術劇場のギャラリーで、
石川明「夢をかたちに」一字百姿展
石川さんのブログで開催前の一言がこちらに。

ある漢字の一文字をタイポグラフィーで100通り作ることをライフワークとしてこつこつやっているデザイナーさんがいた。その取り組みを知る人が、このイベントを思いついた。

その作品を10行10列並べてパネルにして、それが32枚(つまり32文字)の下がるギャラリー。
漢字一つ一つが、人のようにも見え、あるいは動いているようでもあり、静止しているものもあり、パネル1枚も驚きの平面だが、ギャラリー全体が、不思議空間にもなる。漢字ってすごい。でもタイポもすごい。でも石川さんはもっとすごかった。

新池袋モンパルナス西口回遊美術館のひとつの企画。この回遊美術館というイベントもいいですね。

このデザイナー、石川明さんは、日本を代表するアートディレクターで、タイポグラフィーにかけては第一人者である。手がけたロゴには、JTとかANAなどもあるので、石川さんの作品を見たことがない人は日本にはいないだろう。
10年以上前、「遊」という漢字を仕事で50個書いたことから、個人的な創作活動としておもしろいと思い、描き溜め描き溜めしてきたそうだ。さらにすごいのは、何かの仕事や活動を世に問うていくときに、シンボルマークが非常に大事だと考え(さすが、広告に携わっている方らしい)、非営利団体でそうしたシンボルを必要とする人達に、無償提供をしてきたそうだ。今回も、そうした団体から申し出があれば、このタイポの中から、1字を進呈してくれる、ということで、石川さんご自身の創作活動の社会還元も兼ねていらっしゃる。

作品、空間のすばらしさ以上に、石川さんご本人からこのお話を聞いて、感動してしまった。

私は、前職のとき、エイビーロードという雑誌がエディトリアル面でリニュアルするとき、ロゴもリニュアルデザインをしていただいたので、そのお仕事の一端は存じ上げていた。でも幼い私にとっては、大変な方に作っていただけたなあ、程度のことだったのだが。当時はエイビーだけでなく、カーセンサーとかハウジングの広告のアートディレクション一切もお任せしていたので、ロゴ制作に限らず、さまざまな場面で長い間お世話になった。デザイナーとして尊敬していたが、60を過ぎ、こうして実績を残し、それをさらに広げられる姿を見せてくださるところに、ますます先輩としてお知り合いになれてよかった(つまり、一生ついていきます!)、と心から思う。

動機は、と問えば、「創ることが好きだからね。タイポつくるのでも、画を描くのでも、なんか彫るのでもいいんだけど、これだけばやめられないよね。」って。
かっこいい(泣sweat02

もし明日池袋を通る方は、是非、お立ち寄りください。


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時が蘇る

サイモンとガーファンクルに行ってきました。
相当観客の平均年齢が高く、おかげで、座って聴くことができました!

それにしても、すばらしい歌で、すばらしい演奏note
ポールもアートも、声がすごい。ハーモニーは昔さながら。
そしてバックのピアノもギターもサックスも、パーカスも、それだけで聴く甲斐のあるすごさ。
前日、家族が下北でライブ行ったのだが、そのバックバンドのひとたちが飲みに来ていて、飛び入りで演奏を聴けたと、ダブルの感激もあり。

Bridge Over Troubled Water
Boxer
El Condor Pasa
Sound of Scilence
My Little Town
Mrs. Robinson
とかとか、とかとか。
大学時代、仲の良かったヨーコちゃんは、ポールサイモンが大好きで、常にサイモンとガーファンクルの歌を口ずさみ、いつも「ポ~ル~」と叫んでいた。そのヨーコちゃんから、「来るのよー」と、お誘いがあったので行ったのだが、私は「好きな曲はあるけど、別に歌手として好きだったわけではない」という立場。また、実は家族にも、その情報を伝えると、「いってみたいな~」と意外な返事。何故なら家族の好きな歌手は、海外ではボブ・ディラン、国内では吉田拓郎、という泥臭い系で、ニューヨーク出身のサイモンとガーファンクルにはまったく親和性がない属性。
それでも「別に好きでもなかった私」や、「完全に趣味が違う彼」が、このコンサートの曲は全曲知っていた、めちゃくちゃ楽しんだ!何故ならどの曲も歌えるし、すぐに懐しさでいっぱいになれるから。あの場にいたあれだけの観客はみなそうだっただろう。ヨーコちゃんも、わたしたちも、同じ気持ちで幸せに帰宅した。

多分、私達の世代は、初めて世界の音楽をリアルタイムで聴くことができるようになった時代の子供だ。それはラジオだから映像はなかったけど、ビートルズに始まって、雨あられとたくさんの音楽が降り注いだ。好きな曲はラジオから必死でカセットテープに録音をして、歌詞を覚えるなんていうことを日課にしていたから、ラジオから流れる音楽は選り好みできずとにかく聴いていた。つまりだから、好きでも嫌いでも、結局毎日みんなで同じ音楽を聴いていたのだなあと思う。
今の子たちは、私達以上にそれはもうたくさんの音楽に触れることができるけど、あまりにたくさんありすぎて、そのなかから自分にあった個性的なものを選ぶことが必然になっているようだ。でも私達の時代はそんな今とは全く違う環境で、私はむしろあの時代を過ごせたことを幸せに思う。

だからこそ、その音楽を聴くと、みんなで一緒に同じ時代に戻れるのだなーと。

去年のキャロルキングに味をしめて、懐かしのアーチストはできるだけ行っとこう、と思う。
残念ながら、最初にLP買ってコンサートにいったカーペンターズとジョン・デンバーには、もう会えないけど。

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趣味は何かと問われたら

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趣味は、と問われれば、楽器演奏とか言っていた。
なぜなら、実は趣味というほど極めたものがなく、コスト(時間やお金やマンパワー)を賭けたものがそれなのかも、と思っていたのでそう言ってみていた。
しかし。
最近どうも料理が趣味らしい、と気がついた。
なにしろ、どんだけ長時間キッチンに立っていても、自分が食べられなくても、作って出して、片すのに、なんの文句もない。
それに、おいしい、とか、ありがとう、とか言われちゃったら、木にも登る。なにしろ、クリエイティブだし。情報はいたるところにあるし。そして、なにより、評価してくれる人は、周りにいくらでもいるのだから、ホントに楽しい。

ということで、今日は楽しいお料理教室。料理教室はいろいろあれど、本日はいわゆる修行したシェフによる正統派伝統料理のクラス。
某鎌倉の、先日閉店した、そしてもうすぐ新しいお店をオープンする、シェフ(女性)が《ここまで言ったら、だれだかわかっっちゃったり・・・?》、とある普通のおうちのキッチンで、思いっきりイタリアンのフルコースを作るお教室に参加しました。

なにに感心したって、
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①切っては入れ、切って入れ、そのまま調理する、この合理的かつ、主婦コンシャスな手順
②なんだかんだ言って、何度かやらないと、おいしいものにはならないよ、という、プロのスペシャル感(ここまで見せてくれたけど、何度か作ってこそようやくおいしくなる、と師はおっしゃる)
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③そして、何より欠くべからざる、「これはおいしい・・・」という思いのもとに作る気概。おいしい食材しか仕入れてきませんでした、とか、これはおいしいので、是非つくってほしい、とか、合間合間におっしゃるのです・・・。

さて本日のメニュー
・自家製ハム・サラダ添え
・水ナスとミョウガのサラダ
・ラタトゥイユ
・いわしのリエット
・ガスパチョ
・フォカッチャ
・生シラスのリングイネ ペコリーノチーズのトッピング
・豚ロースのコートレッタ
・パンナコッタ
・コーヒー

白ワインはギリシャのシェフおすすめワイン
赤ワインはバルべーラ ダスティ(これもオススメなのだけど)

これが、なんと下ごしらえ含めて2時間15分くらいで完成し(!)、さらにシンクに鍋釜ほか洗い物が全くない状態で、いただきます!、となる。
おいしかったー。って、料理教室なのに、こうして飲みかつ食べる、の一日が終わりました。
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帰宅して、ハムもどきとフォカッチャを作る。ハムは肉の部位が違う(ほんとは外モモがいいそうなのだが、うちにあったバラの塩豚を使った)ので評価はできないがなかなかのお味。でも、フォカッチャは失敗。オーブンの温度と時間は我が家仕様にするのにちょっと猶予を・・・。ということで、さあ、次は頑張るぞ!

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叔母の絵手紙

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重ね着を手近に探す梅雨の入り


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行くところ空燦々と若葉風

ここ何年か叔母は絵手紙を習いに行っていて、亡くなった祖父が残した俳句に絵を添えてはがきをくれる。母あてなのだが、私もいつも楽しみだ。母は、はがきを飾れる木枠を買ってきて、はがきが来るたび入れ替えて部屋に飾っている。母と叔母は若い頃はお互い忙しくてあまり会うこともなかったと思うが、最近はこういうやり取りとか、たまに会って買い物や食事をしている。こんな様子を見ていると、姉妹ってうらやましいな、と思う。祖父もきっと喜んでいるだろうな。

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写真に親しむ

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幸せそうな表情は、顔にも、背中にも表れる。ということで、先日列席した結婚式で、思わず背中フェチ?!と言われそうな「背中」写真をがんがん撮りまくった。幸い、花嫁・花婿さんに好評(なにしろ、プロはこんな写真は撮らない・・・)だったようで一安心。

さて、写真は何のために撮るか?もちろん記録だ。私の父は、長女の私の写真を生まれた日から結婚式までずーっと、山ほど撮ってくれたし、遠足だ、修学旅行だ、というと、その年の子が扱うのにぴったりのカメラを取り出し説明し、フィルムをたくさん持たせてくれた。
そのときの私の写真に対する感覚は、「記録」。目で見ただけものは記憶の果てに消えるものも多いが、写真に残せばいつでも思い出は蘇るから。

そして現代。写真はもっと説明、報告に不可欠なものになった。なにしろブログは文字だけより、写真入りのほうがキレイ。だから、いった場所がわかるように、あるいはキャプションをつければただの花の写真も意味を持つ。なのでそのためにいたるところでカメラを構える人がいる時代だ。時に通行人を遮っても、料理の温度が変わっても、シャッターを切る。

そして・・・。10月から、写真教室の超初心者クラス受講生になった。初日の座学で先生が言ったこと。今日からあなたたちが撮ろうとする写真は、感じたことをとらえることです、と。それは、記録でも報告でもない。自分が見て、思ったことをフィルムに焼き付け、そしてさらにそれを見てくれるひとも共感できれば、もっと楽しいですよね、と。

ガーン。ただデジイチの使い方をちょっとだけ知りたくて受講しただけなのに・・・。でもその「撮る」「見る」の共通項は「感じる」ということ。そういわれたら、単に技術のためにここにいるなんて、なんてもったいない!単に、写真は風景を切り取るもの、と思っていた私は、すぐに私は宗旨替えをして、この教室で感じたことをそのまま写す感受性を習うことに決めた。

ただの記録でもないし、文章のアクセントでもない、写真って、なんだかきっと素敵なものに違いない。確かに大好きな写真家の写真は、行ったことのない風景で旅情を誘うし、行ったことのある場所でもなぜか見たことのない景色を教えてくれたりするものだ。まあ、私の写真がいつそれにになるのか、は別として。

そして思い出す、この間の結婚式。いつもかわいいYちゃんのウエディングドレス姿はとてもきれいで、会場の温かさも心地よく、言われなくても感じたままの写真が撮れたかも。なにより、その写真を見た新郎新婦が、私のその感激を受け止めてくれたことも、うれしい共有。プロは撮らない、そりゃ、式場のカメラマンさんは、定番の写真を押さえることが第一の命題だ。私はわたしで、撮りたいものを撮る。

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鈴木理策 『熊野 雪 桜』

東京都写真美術館で,予定していなかった企画展に入った。
『熊野 雪 桜』というタイトルにひかれて。

写真は目で見るものではなくからだで感じるもの、という解説が
かかっていた。
写真もすばらしく、また、えっ、という意外性のあるものもあり、
いろんな点でこんな写真展は初めてだったので、とても感動した。
確かに視覚からではなく、どこかともなく感動が押し寄せる。
五感で忘れられがちな皮膚感覚とかも動員されて。

1枚の写真の写真家では終わらない、アーティストの存在を
感じて、目的としていった「昭和・写真の1945-1989」を
忘れるほどだった。
今週末の日曜までなので、まだ見ていない方に予見を
与えないように、今日はここまでしか書かない。
都立写真美術館2階展示室にて。10月21日まで。

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住む街を離れて

夏は涼しいところがいい。この夏は猛暑で本当に毎日たくさんの汗をかいたので、カラダの中身がなくなっちゃうかも、と、ちょっとインプットに、涼しい美術館巡りをいろいろと。(今日は個人的な記録です)

アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶 国立近代美術館
多分新宿であった展覧会以来15-6年ぶりにブレッソンの作品にたくさん、直接出会えた機会。自分の目で見た、その瞬間を切り取った写真は、いつみてもすごい。私はキャパよりカルティエ=ブレッソン。

トプカプ宮殿の至宝展 東京都美術館
「オスマン帝国」って、いつどこにあったの?と聞くほどの歴史オンチの私が、この展覧会に入っていくなんて。西洋史学専攻だった友人のヨーコちゃんの誘いあってこそ。広く深い世界の歴史の交点の記録は、今まで思ってもみなかった感動の2時間をもたらしてくれた。こういう歴史ものの展覧会も、好き嫌い言わず行ってみるものだと反省。

歌川広重《名所江戸百景》のすべて 東京芸術大学大学美術館
知っている地名が次々現れて、懐かしい(わけはないのだが)風景ばかりが並ぶ部屋。「相州七里濱」がある北斎の富嶽三十六景も雄大で好きだけど、広重は狭い都会の江戸を、粋に洒落た色彩で再現していて、東京っ子の気持ちを大きく揺さぶる。これはどっちが好きか、と言われても。

時空を超えて日本も世界もどこにでもテレポーテーションの気分。

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ギャラリートーク ダリ展

今上野にダリが来ている。生誕100周年記念 ダリ回顧展 ~上野の森美術館にて、来年の1月4日まで。

先日の嵐の夜に、このダリ展のギャラリートークに参加する機会に恵まれた。特徴的な口ひげと奇行で、そのシュールな絵は、さらに謎に満ちて感じられる奇才。私の中では異次元の人であり、パリのモンマルトルのダリ美術館には入ったが、娘が入りたいと言ったから連れられて、というのも、もう既に8年の前のことになる。

最初に、ダリは奇才として語られることが多いが、実は絵描きとして非常にすばらしい才能を持っているので、今日はそこもじっくり見てほしい、との話があった。閉館後の時間帯を使って行われたこのギャラリートークは、シュールレアリズムの研究で名高い東京造形大の岡村多佳夫教授が、構図や技法、作品の背景だけでなく、ダリその人の生まれ育ちから、人間関係、生活など、様々なエピソードを交え1点1点解説してくださるという贅沢な内容。大きな絵の前にたった一人立って見ることもできたし、ダリが客人を迎えたとき必ず勧めたという地元のスパークリングワインのカヴァも味わった。
そして、その3時間の間に、私はダリの絵にも、ダリその人にも、すっかり虜になってしまった。

ギャラリートークは最近多くの美術館が、教育普及活動の一つとして取り入れ始めているそうだ(今朝2006年10月21日付日経朝刊終面・「文化」の記事による)。単に作品をモノとしてだけでなく、それを見る人との関わりで理解すべきだ、ということで、「アートとは、作品と見る人との間に起こる不思議なコミュニケーション」だとも(同記事・京都造形大・福のり子教授)。
解説を読みながら絵を見るだけなら、単に感性ではなく情報によって作品を理解しようという作業だ。私の苦手だった昔の美術の授業は確かそのようなものだった。でも、このようにギャラリートークの形式で、様々な情報を得ながら複数の人と語り合い、アートを介したコミュニケーションをはかることは、感性を刺激する機会として、貴重なものだと実感した。

そして、ダリを見ながら、ダリのバッチフラワーを考えていた。
ミムラス、ヘザー、スター・オブ・ベツレヘム、ホリー。
でも、ダリはその苦しさや迷いを、愛する妻ガラに委ね、それを通して全て作品に表出していたのだから、きっとレメディは必要がなかったろう。
そう思うと、それはまた、作品に投影された天才の強さと弱さを感じるような気がしてくるから、絵を見る楽しさをふくらましてくれる。

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ヴィム&ドナータ ヴェンダース写真展

ヴェンダース夫妻の写真展があるとの案内をもらっていたが、うっかり日が過ぎてしまい、こんな連休のど真ん中に表参道ヒルズに行かなくてはいけない羽目に・・・。駅も道もたいへんな芋洗い状態をすり抜け、一番表参道寄りの入り口から地下3階までひたすら階段を降りたら突き当たり。嬉しいことに、外の喧騒をよそに、とても空いていて、ゆっくりみることができた。

視覚は、今見ている光景を自分の脳に焼き付ける感覚だ。懐かしいのはその後脳が考えるだけのこと。嗅覚が香りだけで思い出を呼び起こすのと違って。しかしドナータの撮っていた茶席や着物の女性、ヴィムの家や港の写真は、2005年の京都や尾道なのだが、なぜか祖父が撮っていた写真を思い出させた。祖父は写真好きで商売の合間をぬって、よく江ノ島や伊豆などにカメラを持って出かけていた。
ヴェンダース夫妻は、昨年、小津安二郎の「東京物語」の冒頭と最後の舞台となった尾道に旅し、これらの写真を撮った。「東京物語」は1953年の尾道と東京が舞台。まさに祖父が最も元気に様々なものを視覚に焼き付けていた時代なのだ。恐らくヴェンダース夫妻のこの写真旅の視点は、まさに祖父が歩いていたころそのものだったからなのだろう。視覚を通して見る2005年の尾道は、今の尾道のはずなのだが、写真のフレームにおさまった途端、なぜか時間が動いた気がした。

でも、直島を遠景にした海の写真だけは、なぜか今を感じた。ヴィムはその撮影旅行の最後に明星を見て、変らないのは星だけだ、とも言っていた。海も星も日々刻々と変化するのもだからこそ、その本質は変わらないということなのかもしれない。

《映像も音もあって、情感豊かな空間でした》

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エターナリー

佐和貫利郎氏のアート展が、オフィスの真裏のペントハウスであったので、最終日にかけこんだ。
「エターナリー」は深いけれど明るいブルーの画面が優しく私を包んでくれる。
「天の女神」は、自分の母性を静かにある方向にいざなってくれる。
ここ2週間のエピソードが絵として色づいて具象化された瞬間。
この2枚が呼応した空間で、5月の風を穏やかに感じることができた。
ここにその画像がないのが残念。誘ってくれたみづ穂さんには心から感謝だ。

佐和貫利郎氏は、「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」、その後「ゴーストバスターズ」や「スーパーマン」なども手がけた美術監督で、現在は宇宙アート画家として活躍。愛・地球博の日本館にも作品を提供した。今日お会いした奥様の鈴さんはアートプロデューサー。

今日は、さらに土地の話はセドナ、ケルト、インド、所沢、イスラエル。人の話はハワイアン、、ジューイッシュ、縄文人など、さまざまに広がった。こうして不思議に幸せな一日が終わる。

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