04/27/2009

ママ、生まれる前から大好きだよ!

胎内記憶、誕生記憶の研究の第一人者の池川先生が、新刊を出された。
ママ、生まれる前から大好きだよ!―胎内記憶といのちの不思議

昨年、杉並の和田中学校の「よのなか科NEXT」の授業の講師をお願いしたご縁で、1冊お送りいただいた。

この本も、これまでの先生の本と同様に、多くのミラクルと感動が満載されている。胎内記憶に興味がある人にはもちろんだが、そんなものは信じられない、ばかげている、と思う人でも、読む価値を十二分に感じる内容だ。親である自分と子のつながり、自分を生み育ててくれた親との関係について、まっさらな気持ちに立ち返って考えさせられるが、読後には何か温かいものがこみ上げてくるような、そんなエピソードが沢山たくさんつづられている。
何よりも驚きでありこころを打つのは、ここに書かれていることの多くが、本当にこの世を生きる2歳とか3歳の子供達が実際にその口から語った言葉である、ということ。発生学で学んだことを、それを知るはずもない子供が、見てきたように語る件は驚きを超える。
また、出産というと、「母と子」の問題として考えられがちだが、今回は父親の役割についても言及されている。出産の立ち会いや育児参加も昔とは比較にならないほど増えてはいるが、そうした生まれ出てからの物理的な助け以上に、夫婦間の信頼関係や胎児への語りかけなど、妊娠中の精神的な父親の支えが重要であることも、具体的な例を挙げて示されている。

終章は「いのちに寄りそう医療を求めて」。産科は、あかちゃんが生まれるというイメージで言えば、明るく楽しいところに感じるが、実際はやはり病院であるから、死とも隣り合わせの場であることは、他の科と何ら違ったことはない。だからこそ、池川先生は、医療者には豊かな死生観が必要だと語る。常に「いのち」と真摯に向き合う、だからこそ、お産にいいお産も悪いお産もない、すべてのいのちに畏敬を抱き、感謝を捧げる、と締めくくられている。

親と子の悲しい事件が数多く見聞きされる今、ひとりひとりが自分自身の生と死について考えることが、緩やかで穏やかな変化をもたらすのではないか。理屈やテクニックより、小さな事実の積み重ね。池川先生のお話は、いつもこうした思いを新たにしてくださる。

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ピンクは池川クリニックさんのはがき。かわいい。

05/06/2008

翻訳

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もう6年前になるが、ドイツに行ったとき、1冊の本を見つけた。バッチフラワーレメディを学び始めたころで、特に当時一番使っていた「バッチの花療法」の著者のメヒトヒルト・シェファーの新刊で、さらに写真がきれいだったので、重いのも厭わず買って帰った。普通、ドイツ語の本だとそのまま飾って読まずに終わるところが、私がその本を持っていることを知っていた手塚千史先生から下訳を頼まれたので、半分くらい読むことができた。スターオブベツレヘムに関する記述は、その後の私のバッチフラワーレメディへの接近、理解に大きな影響を与えてもくれた。
この本は、その後なかなか出版の段取りが進まなかったのだが、このたびようやくく日本語版が出版された。

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エドワードバッチ 魂の植物


メヒトヒルト・シェファーは、ドイツにバッチフラワーを広めた第一人者で、バッチの花療法についてオリジナルな展開をしている研究家である。私がバッチ国際教育プログラムで教えている内容とは多少の相違もあるのだが、この本では、植物の形態学や神話を交えてそれぞれのレメディの説明を詳しくしてくれていて、とても勉強になる。また掲載されている花の写真が、彼女によれば「禅写真」とも言う、即物的で説明的なものではなく、花の力やメッセージを表した写真で紹介されている(表紙の写真もそのひとつだ)。自分としては、当時はまだバッチの理解も浅く、また植物学や神話の知識についてはまったくないなかで翻訳をしたし、またこの本の内容自体そもそも難しいので、多少読みにくい部分も残っているのではないかと思う。ただ、冒頭に展開されている、花、薬草、水、星、太陽などについての洞察、そしてウェールズやケルトなどに関する記述は、非常に興味深いものだ。
あとがきに、お手伝いをしたとして私の名前もご紹介いただいている。本屋さんなどで見かけたら、是非ご一読を。

08/28/2007

『海ゴミ』

七里ガ浜では、夏の間毎週日曜に、クリーン・コミュニティによる海岸清掃が行われている。七里は、わざわざいらっしゃるお客様には申し訳ないが、花火もバーベキューも禁止なのだが、それでもその痕跡が見られることがある。要はそれで出たゴミが残っている、ということ。七里のすごいところは、このクリコミだけでなく、自発的に毎日のようにゴミを拾ってくださっているBさんなどもいらっしゃるところだ。自分のゴミさえ始末できない人がいる一方で、人の出したゴミを毎日集めて捨てるという、献身的な作業の話を初めて聞いたときは、とても驚いたものだ。

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この7月に、友人の眞淳平さんが、本を出した。その名も『海ゴミ-拡大する地球環境汚染』。海に漂着するゴミの内容や出所から、対処法、問題点など、調べに調べられたすごい内容だ。実際に彼が撮りに行った悲惨な状況の写真もたくさん載っている。

海に流れ着くゴミは、さまざまなところからやってくるが、海流、潮流などさまざまな自然の要因によるところが大きい。七里の浜がきれいなのは、海岸清掃もあるが、実はサーフィンに良い波もたまにしか来ない穏やかな海だから、その分ゴミも漂着しにくい浜だったようだ。この本で紹介されているゴミの山と化した海岸の悲惨さは目を覆うものがある。もし七里にこんなゴミがあったら、きっとサーファーも観光客も来ない、それに、このゴミの山は、拾っても拾いきれる量ではない。
浜辺でゴミを採取して、それがどこからやってきたどういった種類のものかを調べている研究班もいくつかあるというのも初めて知った。それによると、日本の海岸には、中国や韓国籍のゴミが多いが、日本から出たゴミは、太平洋を渡って太平洋の島嶼やアメリカ大陸などに流れているだけのことだそうだ。またゴミの種類は、漁業関係以外ではやはり家庭から出たゴミが大半で、さらにペットボトルなどのプラスティックゴミが多い。このプラスティックは海で粉々になるのだが、それが魚の体内の入っているという指摘もある。形は違うが、まるで「生体濃縮」(*)の恐怖と同じ怖さがある。人間のエゴの塊のプラスティックゴミを、海の魚が食べていて、さらにいつか廻り廻って人体にも入ってきているのかも、というように考えられるが、因果応報もここにきわまれり、の事例ではないか。
この本は、海ゴミの問題には今すぐ真剣に向き合うべき、という重い問題提起をしてくれている。この事態をどうすべきか、というと、まずはゴミをださない工夫にしくものはなかろう。過剰包装のものを買わない、というのは実はもっとも根本の行動だし、ペットボトル飲料もほいほい買わずに、ポットを持ち歩く、とか、ね。昭和40年代の日本の公害問題、くさい海や川だって、便利の追及の果てに私たちにもたらされたものだった。いまや時代の流れはコンビニエンスからインコンビニエンスに変わるだろうと考えているのだが、もはや意図的に多少の不便さの追及を考えるときにきたようだ。私たちが置かれた生活環境のなかでは完璧にはできないことだからこそ、心がけるだけでも違いが出てくるのではないだろうか。

そして、この本でもっとも驚いたのは、拾われた海ゴミは、普通は行政は引き取らない!ということ。確かにゴミ処理での無料回収は家庭ゴミだけで、事業ゴミは有料回収。回収だけでなく、鎌倉市は資源回収センターに持ち込んでも、この10月からは有償でないと受け取ってくれなくなるくらいである。一部の地域で回収してくれるのは、拾っている人たちの運動の賜物でしかないそうだ。なぜ、他人の出したゴミを善意で拾って、お金を出して引き取ってもらわなければならないのか、まったく理解に苦しむ。

そんなこんなも、まずこの本を読んでみてほしい。中公新書でたったの861円。環境について意識の高いアロマセラピスト向けには、著者・眞さんを招いた勉強会も企画中だ。一人一人のちょっとした動きが、海ゴミを少しでも減らすことができると思うから。

* 生体濃縮・・・環境中では薄い濃度でも、食物連鎖によって、上位補食者になればなるほど濃度が高まり、生体に対する影響が大きくなる、毒性を示す量になること。レイチェル・カーソンは1960年代に既に「沈黙の春」で指摘していた。

04/13/2007

OZの鎌倉

鎌倉特集は数々あれど、今回のOZmagazineの鎌倉特集は、読み応えがあり、恐らくこれから夏に向け我が家に遊びにいらっしゃる方たちの事前研究書としてもよいのではないだろうか。
OZといえば、以前の印象では、単なる情報集の感じを受けたし、写真も普通の(失礼)ものばかりだった記憶が。今号は、「暮らすように歩く」という副題があるように、確かに一見、ここに住む人たちが好きな場所をつぶさに紹介している地元受けかとも思われるが、写真がとてもきれいでイメージを増幅してくれるので、観光に来られるかたの旅心も十分くすぐりそう。鎌倉は、寺や小道に昔が残っているが、意外に新しくよいものも、次々生み出されている。その両方を伝えているので、誰が読んでも満足できるだろう。テーマがある雑誌は、やはりお金を出して読む価値があると思う。

雑誌の年間販売額は、もはや低落一方、9年連続で前年割れだ。一説にはフリーペーパーやインターネットの影響、という向きもあり、1日のメディア接触時間を考えれば説明のつく話かもしれない。しかし、雑誌好きの私としては、つまらないものも多くなったからではないか、と思う。この間、2年前に鳴り物入りで創刊された女性誌を、久し振りにタイトル買いをしたが、あまりに内容が薄くて、電車を降りる前にあっという間に読了。これなら、やはりL25を駅でもらった方がよかった、と思ったのは偽らざる感想だ。

で、OZmagazine だが、調べてみたら、去年の12月に判型を大きくして、リニュアルをしていた。内容のリニュアルはなかなかプレスリリースなどに伝えきれるものではないが、雑誌はやっぱり毎号毎号、出たもので勝負だ。おもしろいもの、読んでとっておきたいという記事、これを楽しみにまた今日も本屋さんへ。

11/15/2005

文学を旅する

最近どうも小難しい顔をして、ビジネス系の本しか読んでない。小説さえもあまり手にしなくなってしまった。
そんな私に1冊の本が届いた。

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200X年 文学の旅

ロシア文学者である沼野充義先生と英米文学者の柴田元幸先生の往復書簡風のエッセイ集だ。お二人ともたくさんの翻訳と研究を発表され、またそれぞれの研究の本国でも有名人ということで、「また難しい本をいただいちゃったものだ」、と思ったのは、本を開くまで。
ページをめくると次々に、ある日はロシアを、ある日はアメリカを、またある日は東大の研究室を覗かせてもらっているような楽しさに出会い、数日で読み終えてしまった。

昔、子供の頃。本は自分を世界に誘う唯一のものだった。外国に憧れて、語学をやって、文学部に入って、なんて、今の子達には笑われそうな経歴の自分を思い出し、でもこんな風に読んだり勉強したら、本当はもっともっと楽しかったろう、と反省もしてしまった。

好きなときに外国に出られて、海外の音楽も映像もすぐに手にすることができても、まだまだ探求して楽しいことが「外国にはあるのね」と再認識さえさせてもらった1冊だ。

若者よ、本を読もう!
でも、
若者よ、書を捨てよ、町に出よ!

どっちも真実。世界は広いのだ。


10/27/2005

水の結晶

すばらしいものに出会ってしまった。

水を凍らせ、真ん中の盛り上がりを顕微鏡でとらえると、それはそれはきれいな結晶に出会うことができる。

でも、それには良い環境・・・ここでは、よい音楽を聞かせるときれいな結晶を結ぶ、という大事な条件が必要なのだ。水の細胞にももちろん原子があり、陽子が核の周りを動いているから、そこに波動がある。ということは、つまり音の波動も伝わるということだ。胎教でよい音楽を聞かせると、ということがあるが、胎児も羊水の中に浮かんでいる。この水の結晶の写真を眺めていると、不思議な神秘的なものに対する畏敬の感情さえ押し寄せる。

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私が入手したのはDVDブック水と音楽 癒しのメッセージ―驚異の映像 水が成長するで、アヴェマリアを聞かせた水、ベートーベンの月光を聞かせた水、など、たくさんの結晶を、その音楽と共に見ることができる。

そしてブックの写真集には、「ありがとう、感謝」ということばのラベルをつけた水が作ったきれいな結晶と、「ばかやろう」ということばのラベルをつけた、結晶を結んでいない水の写真もあった。
人もまた、水そのものの存在だということも思い出す。太っていようがやせていようが、60%から70%は水分なのだ。争いごとやののしり合いの中では、つまり人も水も苦しいのだ。


雪の結晶とも違う、水の結晶の美しさを教えてくださったのは、毎月お越しくださるお客様。人との素敵な出会いという、良き環境が、私の中に少しずつ素敵な結晶を残してくれているような気もして、このところ幸せな気持ちだ。

09/25/2005

偶キャリ!

先日、定期的に開催されているHBS出身者の勉強会で人材開発コースの方が、藤村博之先生がこの6月にあった勉強会で話されたという、中高年になっても元気で有用な人材となる秘訣6か条を紹介してくださった。

1.若いときに自分を成長させてくれる仕事にめぐりあうこと

2.早い時期に仕事の目標となる先輩や上司を見つけること

3.新しい仕事を任されたときに、関連の資料を読み漁るなど寝食を忘れて勉強すること

4.10年くらい経ったときに、仕事全体を見た渡せるようなポジションに異動になること

5.仕事を進めていく上で、常に中長期の目標を持っていること

6.逆境のときに自らの能力を整理し直して、次の飛躍の糧にすること

つまりは、中高年人材の元気は、若いうちに育まれるもので、いまさら元気を注入しようとしても、それでは間に合わない、ということのようだ。このことを考えるとき、いくつかのことに思いがいくが、今の若い人たちにこのような場を与えられているか、という問題についての検討はまたの機会に譲ることとする。

で、振り返って自分が今この年に、至極元気に楽しく仕事ができているのは、こんな6つのことを幸いにして経験させてもらえる場に居合わせたからなのだ、と改めて感謝してしまう。そしてそれはさらに、偶然の重なりから生まれているのだから、驚きさえする。
なにしろ、もともとアルバイトで入った会社が、アルバイトも社員以上に働かせてくれるところであったり、そのまた配属された部署からその次の時代の中核を担う仕事の部門が発足しその創部メンバーに選んでもらったこととか、さらに大学では文学と音楽三昧で幸せだったのに実は社会系の理論の方が好きで合っている、ということがわかったりして、結果的に今の仕事にダイナミックにつながる経験の連続だったのである。「人を育てることにもっとも力を注ぐ人たちに囲まれた職場」は、すなわち人的資源マネジメントのセオリーそのものだったようだ。

で、もうひとつ、仕事を考える上でこの「偶然」も大きな意味があるらしい。

「偶キャリ!」という本がある。会社員時代に経験した大きな仕事のひとつで、とっても頼れる仕事仲間であった所由紀さんの本。面白く、さらに巷の評判もとてもいい。
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偶キャリ!-偶然からキャリアを作った10人
これによると登場する10人の人々は、なるべくして今の仕事についているのではなく、偶然が偶然を呼んで今の場にいるのだ。

Planned Happenstance理論に基づいて書かれた、というこの本。Planned Happenstanceそれを具体化するための5の行動がある。

1.Curiosity: 好奇心を持ち、広げる

2.Persistence: すぐには諦めず、やり尽くしてみる

3.Optimism: 大半の悲観的なコメントよりも、たった一人の 前向きなコメントを心に置いてみる

4.Risk-taking: 失敗はするものだと考え、今ある何かを失う  可能性よりも、新しく得られる何かにかけてみる

5.Flexibility: 状況の変化に伴い、一度意思決定したことでも それに応じて変化させればよいと考えてみる


偶然により元気の源泉を手に入れた幸運をかみしめつつ、そんな私がさらに目指すは「有用な人材」となり、偶然を「キャリア」にすること、ですね。2つのトピックスから、出だしはOKのようなので、もう一息がんばって、事例になるくらいの結果を残さないと。まだまだ。

08/27/2005

アロマセラピストの図書館

とっても久し振りに神田の三省堂に行った。時間もあったので、いろいろ見たいと思ったが、ついクセでアロマや自然療法関連のものを探したくなった。フロアガイドを見ると最上階の6階に医学書のコーナーがあるので、ふと上がってみた。

するとなんとなんと!あるではありませんか、欲しい本がたっくさん!!!

医学といっても、学生さんから読むわけだから、超難解な研究書だけではないんだ、と気づいたのは棚の前に立ったとき。なにしろ、今私たちの興味事項の、栄養・食事、運動、ストレスはもちろん、介護なんていう柱もある。医療マーケティングのコーナーもあるわけだから、介護についてもも医療的なものだけではなく、ソフト・ハードのサービスに関するものも。そして、雑誌類も昨今増えている一般雑誌系のものも置かれているので、要はここに来れば、一箇所で全ての用が済むのである。

そして、医学書の端にある「東洋医学コーナー」でまたびっくり。中医学、アーユル・ヴェーダはもちろんなのだが、その脇にホメオパシー、アロマセラピー、ハーブ、フラワーレメディ・・・など、あるある。西洋医学のはずのものが、これはどうしたこと・・・。すなわち、これは代替医療(「日本で医療と認められた西洋医学」以外=東洋医学)」、コーナーだ!多分昔コーナーを作ってそのまま書籍だけ増えていったってことなのでしょう。何しろアロマは、下のフロアの実用書コーナーで、「アロマセラピーはこちら」と表示まであるところより、品揃えが豊富なほどでした。

びっくりついでに一番欲しかったのはこれ。(買わなかったけど・・・)
さらに神農本草経とかリグヴェーダ、ディオスコリディスのマテリア・メディカなどが「マンガ」になったらすごく嬉しいのだけど。


koutei


まんが黄帝内経-中国古代の養生奇書


まわるだけでも、知るだけでも、意義深い1日。だから書店は大好き。
これから情報収集は、探すなら大規模書店、注文するならamazon.ukだと思い知った1日でもある。


ということで、考えに考えぬいて買ってしまった3冊はこちら。(それほどのことでもないですが。)

supple


サプリメント事典

doctor

産業医のための精神科医との連携ハンドブック

food

食品成分表2005


08/05/2005

三島由紀夫が死んだ日~音の記憶

なぜか目に焼きついている風景がある。
でもそれは時に音であったり、香りであったりもする。

昭和45年の11月25日、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊で自決をした日、
私は確かに、神田の中学の教室で、慌しく上空を行くヘリコプターの
音を聞いていた。
あのころは、もはや子供たちが豊かさと安心感を実感できる時代になっていたが、
いつも胸騒ぎを感じさせるその音は、光化学スモッグが出た日や、
三菱重工が爆破された日など、あの日だけでなく
東京の空の真中によく響いていた。

「三島由紀夫の死んだ日   あの日何が終わり 何が始まったのか」
タイトルと表紙に惹かれて手に取ったこの本は、
複数の執筆者のそれぞれの見解の面白さもあるが、
私は特に、三島の最期の原稿を受け取った、「新潮」の編集者であった
小島千加子さんのパートが印象に残った。
それは、その日の事実を淡々とつづっているのだが、
あの空の「音」が聞こえてくるようなのだ。

昔を懐かしみ、昔を今に知る。
三島が死んだ年齢を過ぎ、今さらその時代を振り返り考えるのは、
情けないが、楽しい作業でもある。

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三島由紀夫が死んだ日