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湘南ってどこ?ここは下町?

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ツイッターで、鎌倉逗子葉山は湘南か、との問いかけがあった。去年のイベントを大磯でやったときに、湘南発祥の地の石碑を見て、湘南のいわれを調べたので、私の知識では大磯あたりを中心として東海道沿い、相模の南に位置したあたり、というのが正解と言いたい。でも今ではイメージとして三浦半島くらいまで入れている人が多いだろう。
つまり、もともとは、こうした史実から名付けられた場所だが、今は広く相模湾を囲むあたり、と思っていいのかもしれない。ちなみに湘南市構想は、「平塚市・藤沢市・茅ヶ崎市・大磯町・二宮町・寒川町」の合併であったと記憶している。これが実現していたら、海沿い、という定義も違ってきたところだ。
もう少し書いておくと、湘南電車は東海道線の中距離電車のことで、鎌倉逗子を通る横須賀線ではない。でも葉山逗子から山を登ったところにある研究都市は湘南国際村。茅ヶ崎出身の桑田さんは、今鎌倉に住んでいるとのうわさ。ツイートにもあったが、湘南スタイルで取り上げられている人や店は、多くが鎌倉。
国土地理院に電話して聞いて下さった方によると、「皆がそう呼ぶところがその地名です!」って返事だったそうだ。そうか、そうなんだ。

鎌倉が湘南かどうか、は、私的には厳密には違うと思う。何しろ史実を見るとそうではなかったのだから。でも、そういえば、去年から「湘南コンシャス・リビング」というワークショップをやっているが、これは大体逗子葉山から大磯二宮あたりまでで開催しよう、と申し合わせている、ということを、ツイートしているときはおめでたく忘れていた。同じ人間でも、使い分けている、ということだ。ま、ひとはこれほどいい加減なもので。すみません。ちなみに、次回8月27日に開催するのは、鎌倉です!

さて、それでいえば、「東京の下町ってどこさ?」論議のほうが実は私にとっては重要だ。どうしても生まれ育ったところには口うるさくなる。東京の下町とは、神田とか日本橋であって、今葛飾、江戸川までそう呼ばれているのは、納得がいかない。かえす刀で、山の手だって、今の文京区を中心としたあたりなのだから、世田谷が山の手なんていわれると、びっくりしてしまう。多分、今多くの人は文京区は下町、と思っていたりしないか?こればかりは、大勢がそういうからと言って、認めたくないところだ。是非調べてみてください。ここに詳しいですけど。

昔、茅ヶ崎の海沿いの中古マンションを共同で借りてた先輩が、そこを「ホノルル」と呼んでた。10人くらいで借りて、そこの住人だけでなく連れて行ったみんなにも呼ばせてたから、国土地理院に言わせると、「そこはホノルル!」??

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こうなったらいいのに・・・

七夕を過ぎたのだけど、願いが叶うっていうことについて。

この間の加島祥造先生がおっしゃっていた昔の願い。映画が好きだったのだけど、いつか文庫本を手に取るように映画も見られたらいいな、と思っていた、と。そしていま、本当にDVDはケースに収まって文庫本みたいな形。だから長野の伊那谷に暮らす加島先生も次々いろんな時代の映画を山ほど観ることができているそうだ。

それを聞きながら思い出したこと。20年くらい前、Jリーグがもうすぐ始まる、って聞いてたけど、まだ注目する人も少なくって、いっつもがらがらの日本リーグ(なにしろスタジアムの座席で娘のオムツが換えられた!)を見に行ってた仲間との会話。「Jリーグ始まったらさあ、ロートルでいいから元ブラジル代表とかが、ひとりでも入ってくれると、日本のサッカーもレベルあがるよね」。その話をした翌年、ジーコが2部の住金にはいったときは、ぶっとんだ!ジーコほどの人までに来て欲しいは思ってなかったのだけど。
そしていまや、まだワールドカップが閉幕していないのに、ヨーロッパリーグへ旅立つ日本選手がいる。
みんなの夢が叶えば、ひとりひとりの夢が近くなるときが来るんだね。

そして、私は次は、男子よりも世界に近いなでしこが、世界の3強に必ず入るんじゃないかってことを思ったりもしている。

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バッチフラワーとタオの「バランス」を聞く。加島祥造先生講演会

伊那谷にお住まいのタオイスト、加島祥造先生に、東京までお出ましいただいて、お話を聞く機会を得ました。本来お願いできないはずのことが可能になって、その場で同じ空間を共有できたことに本当に感謝しています。最初に、「耳が聞えなくなってきている。目をつぶって自分の中を見ることはできるが、耳は聞えないと自分の声も聞えない。」とおっしゃいました。年をとると、からだの様々な変化は防ぎようもないが、耳のことより、「目をつぶっても自分の内面を見ることはできる」とは、すごい言葉だ、と思いました。加島先生は神田の商家に生まれ、私の亡くなった父と年もお近いうえにこうしたプロフィールも重なり、さらに親近感を持ってお話を伺うことができました。父ももし存命でも、からだのどこかにうまく動いてくれないところがでてきたら、苛立ちを感じているでしょうか?あるいは加島先生のように、その状態をも楽しむように暮らしていたでしょうか?

さて、今回のテーマはバランス。バランス、とは日本語では「釣り合い」、中国では中庸、仏教では中道、と加島先生はおっしゃる。この主題は、非常にバッチフラワーレメディの考え方と重なるところが多く、驚きもし、またそれだけにさらに興味深く聞くことができました。人間は生まれ落ちて、自然の水と空気と光と栄養という地球の秩序(これを加島さんは”nature”とおっしゃいました)を一身に受けて育ち、本来は喜びを自然から汲み取っている。しかし、これを妨げるのが人生で、それはすべて恐怖から来ている。

まさにバッチ博士がレメディを作った基本にある考えと同じです。また、善悪、美醜、高低を分けることや、ヘーゲルの正反合という弁証法的な概念などの近代的な考え方、ものの見方とは違い、元は同じところから出ているからこそ、「バランス」「つりあい」「中庸」「中道」を求めてくのだ、とする考え方。これこそ、自分の今感じている感情の善悪を問うのではなく、つらい感情のその本には居心地のいい感情が裏腹にあると考え、感情のバランスを求めていく、バッチフラワーが導く方向に近いと思いました。

バッチフラワーは、他の概念で説明すべきものではない、とは心得ているつもりですが、こと老子のタオ、あるいは加島先生のタオは、その言葉を借りると、バッチフラワーレメディの基本性質の説明が可能になるようにも思います。

人の状態を見て批判することだけでなく、自分のつらい感情も責めすぎない、どんな状態もあるがままに受け入れることから、バランスという感覚が始まるし、自分がしなやかに癒されるのでしょう。本当に意味ある時間でした。

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