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老後を恐れない

会社のほうか、こっちか、どちらに書こうか迷ったが、個人的感想なので、こちらに書いておく。

16日の日曜に、虎ノ門の発明会館ホールで、「認知症の真実」連続講座の第1回を行った。私はプロジェクトスタッフで、司会という役回りだったので、お迎えする側であったのだが、お越しいただいた皆さんも、スタッフも、一様に満足感を持って終えることができたようだ。

1時から4時半と長い時間を、加藤伸司先生一人に頼って展開。加藤伸司先生をご存知ですか?認知症介護の予防と研究分野では、もう15年携わり中心的役割を担っていらっしゃる。長谷川式スケール(認知症診断で、今どこでも行われているテスト)の作成もされた方。表立って出てこられる方ではないので、ある意味「知名度」では集客できないはずだが、130人もの参加があった。
で、この講座、なにがよかったって、先生のお人柄が滲み出た優しい語りかけ、事例豊富でユーモア交えた話術がすばらしく、会場全体があたたかな場になった点が第一だと思う。

そして、私自身の感想なのだが、とても広い範囲のお話を長時間聴いたのだが、決して情報満載でいっぱいいっぱいにならずに聴くことができる、不思議な講座だったということを今強く思い起こす。
つまり、ここで聴いた認知症にまつわる細かな知識や方法は恐らくまた必要になれば思い出したり、調べたりできるけど、本当の意味で認知症を理解するために必要な「芯の部分」を教わったから、ではないかと思うのだ。

それはなにかというと、加齢、老化によって、身体のさまざまな機能は変化する(あえて劣化と書かない)。ともすると、それが老いに対する恐れとなり、あるいは老人に対する「蔑み」「忌避的感情」になったりもしている。しかし寿命の延伸がひとにもたらしたもののひとつがこの認知症であり(データで説明されている)、裏を返せば加齢があるから認知症がある、という事実には、老化をどう捉えるか、が認知症を恐れない、唯一のカギなのだ、ということだ。
加藤先生のお話から、今、人が加齢と共に失うのは表面的に見える「記憶」ではなく、もしかして、その周囲のひととの関係性なのではないかと思った。それも看護介護する側から交流が遮断されるという状態。本来この時期に新たに得られるのは、機能の低下と引き換えに、豊かな感情であったり、過去の大事な思い出のかけらだったりする。だからこそ、記憶を失った、失いつつある患者さん、その人そのものの尊厳をいかに尊重していけるか、が大事になる、と先生もおっしゃっていた。
認知症の方が、どう思い、何を感じているか、それに対して看護介護する立場の私たちは何を見ているのか、これは多くの場合、ずれていることから悲劇が始まる。イギリスの認知症患者の老婦人が書き残した日記の朗読DVDが流されたが、男性も含め涙をぬぐう方がたくさんいた。看護師さんに見過ごされている自分の心の奥底の気持ちを書き綴ったもの。実際の介護現場で、どのような介護手法がよいのか、というマニュアル的な教育ではなく、こうした実例の体感を理解してもらうことが、本当は重要なのだろう。(加藤先生がいらっしゃる「認知症介護研究・研修センター」ではこうしたものも含めたリーダー教育をされている。)

そして、打合せのときに、実は一番つらいのは、病院で認知症であると告知を受けたその日、その瞬間から、次の診察日までの辛く切ない気持ちを、患者さんとご家族どちらもが持つけれど、そこに対して手が打たれていない、という事実。認知症の軽度の段階はまだ日常生活ができるから、相当にネットや書籍で情報を探るだろうが、「治らない」「悪くなるだけ」という事実は、果てしもないショックのはずだ。そのショックの緩和のためには、実はバッチフラワーレメディがとても有効だろう、と考えるのだが、具体的な方法論はこれから考えなければならない。なのでこれは忘れないためにここに書いておく。

いずれにしても、本当に実のある講座だった。DVD収録をされたので、ホリスティック医学協会の全国の支部での上映勉強会も検討され始めたと聞く。輪が広がるとよいな、と切に思う。

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