« ブログが使えないと | Main | エイビーロードが休刊 »

思い出せない記憶

茂木健一郎氏の脳と仮想がおもしろい。実にリアリスティックな事実(紛れもなく私たちの内部にある脳に刻まれること)について精緻に書かれていながら、、「脳から心がどのように生み出されるか」、を論理的に解いていく。しかし、秀逸だったのは、最後の「魂の問題」の章で、私は「魂」であり、魂だから「今、ここにいる私」はかけがえがない、と核心を語りながら(ここは私が意訳してしまって、原文ではないですよ)、『「私」が「今、ここ」にあることだけは、疑いようがない。物質がどうであろうと、世界がどうであろうと、そんなことは知ったこっちゃない。』(ここは原文の引用)とこれまでの論理構築を放り出してしまっているかのような件が一瞬表れるところ。リアリスティックでロジカルな科学の世界から、まったく逆と思える心の世界を考える、というこのわくわくするような、でも極めて複雑な作業は、やはりこのように仄見えてしまう感情的な側面を抜きにはできないのだ、と思うと、安心もし、これからの研究や著作も楽しみになる。

その中の話で、医学博士の故・三木成夫氏の話が出てくる。記憶というのは、記憶されたときのエピソードが媒介にならないと思い出せないことが多いが、ともすると私たちはその「エピソード記憶」こそが記憶の主体をなすものだと思いがちだったりする。しかし実際「今、ここ」の事象は、エピソードがなくても、無数に記憶として刻まれている。だから、大事な記憶でさえ、エピソードがないとじつは「思い出せない記憶」になってしまう、ということでもある。三木成夫氏の名前を再三聞いても、茂木氏は、自分が三木氏の感動的な講演を学生時代に見たことを思い出すことはなかったが、ふとしたきっかけでそのことを思い出す。講演そのものは覚えていなかったが、その中のいくつかの示唆はその後の暮らしの中で、明らかに蘇ることがあった、という。そしてわたしはといえば、その文中の「三木成夫」という文字をみても、「ミキシゲオ」と音に変えても、やはり自分に関係ある名前とは思わなかった。しかし、読み進んでいくうち、私も思い出したのである。以前参加した「カオロジー」のセミナーは、三木成夫氏の論をベースしていたものだった、ということを。そのセミナーは、心とからだと生きる力について、私のまったく知らなかった、新しい解釈に基づく展開で、示唆に富んだものだった。そしてそのときさらに深く知りたいと思って三木氏の胎児の世界~人類の生命記憶も当時読んだ。多分そのときの私にとっては、三木成夫の名前より、はるかにその中身が大事だったから、その名前は思い出せない記憶になっていたのだ。

「胎児の世界」は、人間の意識を超えた生命の記憶の世界を辿る。まえがきを開くと、なんと茂木氏が繰り返し使っていた「今、ここ」、と同じように三木氏が「いまのここ」という言葉を使い、記憶、回想について語っている。思い出せない記憶が、なぜか「今、ここ」で新しい気づきと結びつき、強い記憶を刻んだようで、驚く。
こころ、からだ、スピリットとか、あるいはそれらを統合するよなことに関心がある方で、もしまだどちらか読まれていない方がいたら、この2冊は是非おすすめである。

しかしこの2つの偶然を、不思議なシンクロとはいわないでおこう。なぜなら、これはきっと真摯に研究の道を進んでいる人たちの必然だ、と、リアリストである私は思うから。


|

« ブログが使えないと | Main | エイビーロードが休刊 »

徒然」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/19580/11033374

Listed below are links to weblogs that reference 思い出せない記憶:

« ブログが使えないと | Main | エイビーロードが休刊 »