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教え子とわたくし

昨年の教え子からメールが来た。大学で経営学を学ぶ3年生。私語の多い教室でいつも最前列に座って熱心に授業に参加していたSくん。実家の建設会社を将来継ぐ経営者予備軍で、一度専門学校を卒業して何年かたって大学に入りなおしたということは後で知ったが、他の学生と群れず一人でいたので、最初から妙に印象的だった。楽勝だから取る学生が多かった私の講義で、消費者とか広告を学びたくて履修した数少ない学生のひとりだ。
その彼が、大学院を目指したいとメールをくれたのは春休み。その後大学のゼミの先生とも話しながら、目標を絞り込みつつあるという報告が先週のメ-ルだった。経営学それ自体の面白さも感じ、またそれを学問として以上に実業に活かす道筋と必要性が彼自身の中で見えた結果らしい。いっしょに学んだ時を経て、さらに「教え子」がそれを続けて行きたい、といったときは本当に嬉しさを感じる。それは、私が好きなことを教えているから、それをさらに好きになってもらえる、ということが私にとって教師冥利につきる。

その、2003-04年と静岡方面で大学講師をしていたときのこと。担当は広告論と消費者行動論だったが、自分自身がそれこそ研究者というより実務家であったので、学生にも座学を強いるのは無意味かと、授業の組み立ては講義少々→課題→グループワーク→プレゼン、というメニューの繰り返しをしていた。4年生の広告論は20-25名くらいのサイズだったので、それこそ2-3回目くらいには全員の顔と名前も一致し、質問やディスカッションも盛んになった。大学の授業は今でも講義形式が多いので、学生も最初は戸惑ったようだが、他にない方法論の授業を楽しんで取り組んでくれた。広告とは、大学で学ぶ学問というより、売るための知恵であり、コミュニケーションそのものというプラクティカルなセオリーだからこそ、少人数で実体験として学ぶ方法が適するのだと思う。だから、先のSくんのいた2年生の授業は惨憺たる状況だった。なにしろ、履修生が150人を超え、最初は座りきれず出席をとったら出て行くものまで出る始末。だから実習型は、前期の途中までで断念した。学生はその方法を続けるのを望むものも多かったが、統制が取れなくなったのだ。実はこの講義は結局講義タイプになったことで、私の中では学生に申し訳ない気持ちも残っているものだ。

で、相変わらすいくつかの講師稼業をしているが、結局少人数の講座を中心にしている。実は講義の場所が狭いから、という物理的な理由から発したことなのだが、そんな大学での経験も経て、むしろ今は積極的にその形態のよさを活かしたほうがよいと思っている。広告もそうであるように、アロマやバッチのようにプラクティカルなセラピーは、自分の体験や考えかたを一つ一つ振り返りながら学んだほうが身につきやすいし、また講師と生徒が近いことがその後の生活に取り入れる方法を身をもって知ることができたりするのだ。そしてもちろん、講師である私が生徒さんたちの生きたリアクションや感想から得られるものも大きい。アロマもバッチも、うちの生徒さんは継続して先のステップに進んだり、自分の生活で使うのがうまい人が多いようだ(ちょっと身びいき?)。彼女たちからも結婚報告やら先の勉強相談のメールがくるが、その都度、講座を通しての出会いに感謝する。だから講師はやめられない。

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